「万延元年遣米使節子孫の会」佐賀研修旅行

  • 日時
    2014年11月15日~16日
  • 参加者
    尾上満昭、岩本美和子、伊藤久子、平石慶子、宮原万里子、貞松和余、塚原辰二(敬称略)
  • 研修目的
    遣米使節団には九州より8名の方が派遣されており、そのうち佐賀・鍋島藩から5名が参加した。彼らは使節団帰国後も多くの功績を残している。そこで何故佐賀藩がこの使節団に力を入れたのか、また団員の皆様のルーツを探る事を目的として訪問した。

11月15日(土)

11時30分に佐賀空港で集合し、マイクロバスで行動を開始した。

(1)訪問先:佐野常民記念館

(係の方から丁寧に全てを説明して頂けた。)佐野常民は大阪、江戸で蘭学、医学を学び、幕末から明治の時代を背景に政治・産業・科学・芸術の分野で先進的な活動を展開した。中でも幕末には佐賀藩の海軍創設に力を注ぎ三重津海軍所を創設し、日本で最初の造船所を建設した。(この跡地は世界文化遺産に26年1月に申請されている。)今は公園となっており姿は見えないが、木製の枠もきちんと保存されていた様だった。この造船所は干満の高さを利用して海水を引き込む自然を利用したドッグである。明治10年には「博愛社」を設立し、西南戦争で敵・味方区別なく負傷者を救護した。これがのちに「日本赤十字社」となり初代社長に就任している。

三重津海軍所跡を見学
三重津海軍所跡を見学

(2)訪問先:徴古館

ここは鍋島家により創設された博物館である。時間の関係で展示物を細かく拝観する事は出来なかった。鍋島直正公が娘さんの貢姫に宛てた書簡が多く展示されていた。

(3)杉谷昭先生の講演(於:徴古館事務室)

杉谷先生は九州大学で日本史学を専攻し、幕末維新史の研究をして来られ、2年前まで佐賀城本丸歴史館の館長をしておられた。先生のお考えでは、「万延元年遣米使節団」の具体的な行動内容については、宮永孝先生の著書「万延元年の遣米使節団」に詳しく良く纏まっており是非お読み頂きたい、とのことであった。また先生のご意見は、「今日本が直面している諸問題は150年前に既に起きていた。当時世界がどう動いていたのか、その中で日本の位置付けはどうであったのかを良く見る必要がある。1853年ペルーは大統領の使命を受けて琉球占領を目的に日本に来たのである。それでなければ4隻の軍艦と990名の兵隊を連れては来ない。結果として日米和親条約を結んで帰ったのである。」とのことであった。先生のお調べでは、使節団の多数の方が日記を残しているが、この中で良く出来ているのは、村垣範正「航海日記」、玉蟲佐太夫「航米日録」、島内栄之助「航米日記」ではないかと思う、と述べていた。

徴古館事務室にて杉谷昭先生から受講
徴古館事務室にて杉谷昭先生から受講

(4)訪問先:佐賀城本丸歴史館

(係の方に詳細にわたりご説明を頂戴した。)この歴史館は10年前に開館されたが、佐賀城本丸跡に佐賀城本丸御殿の遺構を保護しながら復元した施設であり、木造復元物としては全国最大の規模を誇る。丁度、鍋島直正生誕200年記念の「大閑叟展」が開催されており当時の状況が良く理解できた。特に大砲、蒸気船の製造、西洋医学の導入、種痘の導入等偉大な功績が良く理解できると共に遣米使節の多くの方を派遣した背景が理解できた。

(5)会食

旅館「あけぼの」(明治22年創業の老舗料亭)で青木歳幸先生をお迎えし、この席に参加頂いた。

(6)青木歳幸先生のお話

青木先生は現在日本洋学史学会会長をされており、前佐賀大学地域学歴史文化研究センター長である。お話によると、佐賀藩は、この遣米使節団員に対して具体的な使命を与えていた。小出千之助には、船内規則、海上運用及び揚陸の日記、台場其外海岸之要害、公辺より亜人江応接之始末、等等詳細な調査項目の指示がなされた。島内栄之助には、軍事面の調査を命じた。また川崎道民は医師として派遣されたが、写真家としても有名であり現地でも銀板写真技術を取得し、明治5年には日刊新聞の発行も行った。

(7)島村栄之助のご子孫

島村栄之助のご子孫 重村 剛、孝様ご両人が、今回この会に初めてお見えになられた。今まで島村栄之助の事はご尊父様が窓口をされており、お亡くなりになられてから交流が止まっていた。剛様は病院を継いでおられ多忙にされており、佐賀を離れる時間はないとの説明があった。家には「航米日記」の原本を所蔵されており、これを現代語で読みたいとのご意向をお持ちなので、現在徴古館で毛筆文書を活字化した書物を発刊する準備をしている事をお伝えした。

島内栄之助のご子孫、重村剛様と孝様と記念写真(下段右のお2人)
島内栄之助のご子孫、重村剛様と孝様と記念写真(下段右のお2人)

11月16日(日)

(8)陶磁器の老舗製造会社である「香蘭社」と「深川製磁」の見学

この日は有田まで足を延ばし、陶磁器の老舗製造会社である「香蘭社」 とその分派会社である「深川製磁」を見学した。香蘭社では、深川社長に迎えて頂き、特別な方以外使われない貴賓室での面会をさせて頂いた。両社とも明治33年のパリ万博に出展をしており、その技術は素晴らしく世界に誇る陶磁製造業であると感じた。

香蘭社貴賓室で深川社長と記念撮影
香蘭社貴賓室で深川社長と記念撮影

(9)小出千之助 墓前お参り

小出千之助のご子孫である尾上満昭氏の案内でお墓のある多聞院を訪れ、お参りをさせて頂いた。また、佐賀空港で小出千之助のご一族の小出邦彦様にもお目にかかれた。尾上満昭様が精力的に動かれ、ご一族の取り纏めをされている姿が良く分かった。

多門院にある小出千之助のお墓
多門院にある小出千之助のお墓

今回の旅行で遣米使節団の奥行きの深さを痛感しました。我々もこの史実を後世に伝える為、もっと勉強の必要がある事も感じました。今回はお天気にも恵まれ素晴らしい旅が実現しました。これはひとえに貞松和余様の事前の取り計らいで、狂いのないスケジュール、要人との面談、地元の素晴らしい食事をご手配頂いた賜物です。本当に有難うございました。厚く御礼申し上げます。

文責 塚原辰二