村山伯元と「奉使日録」の顛末

村山伯元は表御番外科として遣米使節に随従し、その際の紀行を「奉使日録」という。伯元は遠塩田順庵の第二子として天保三年(1832年)に生まれ、のち奥御外科村山自伯法眼の養子となった。名は淳、または徳淳、字は大撲、抽軒と号した。「武鑑」によると、養父自伯の屋敷は本郷御弓町にあり、伯元は養父と共に住んでいた。伯元は遣米使節に随従した功によって、万延元年(1860年)12月に金二枚・時服二を賜り、年々手当として扶持方五人扶持ちを下された。翌文久元年(1861年)の「武鑑」によると、伯元は養父と共に奥御外科に名を連ね、見習いとなっている。奥御外科見習いとしての 役はその後も続き、「武鑑」の上では明治元年までその名が見える。維新後、伯元は一時医学館に職を奉じたが、暫くして辞め、爾来医学の道から遠ざかっていった。恐らく彼の医学が漢方医であったため、時勢は既に医学所を中心とする西洋医学が重要視される気運があったから、おのずから時勢の進転についていけなかったのであろう。その後彼は編集事業に活路を見出して行った。文部・大蔵・内務各省のために史を編じ、博物局にあって黒川真頼等と「工芸史料」を編集した。明治26年(1893年)3月13日62歳で没した。

村山伯元の米国渡航の紀行である「奉使日録」に関して、著者自筆の原本は、築地光源時の住職佐々木調師によって所蔵されていたが、大正13年(1924年)7月海軍軍医学校に寄贈された。その後、海軍軍医学校にて復刻され、同校で頒布されたようである。復刻版によれば、縦22.5㎜横16㎜で、本文は十行罫紙に認められ、墨付丁数は四十四丁である。四十三丁に「海軍軍医学校図書印」の印がある。その復刻版が現在国会図書館に保存されており、原本と思われる「奉使日録」は現在、独立行政法人国立病院機構東京医療センターに保存されている。平成27年11月にはあらたに友澤弘弌訳注、鈴木紘一監修による「奉使日録、万延元年日米通商条約批准遣米使節 随行医師日誌 村山伯元 著」が出版された。鈴木紘一氏が国立病院機関誌に投稿された「旧軍医学校蔵書始末記」の中にはその「奉使日録」の顛末記の一部が記されている。

(参照:村山伯元の「奉使日録」については吉田常吉による訳文 万延元年遣米使節史料集成 2巻 393頁~394頁)


平成27年10月、村山伯元の「奉使日録」を含む 「旧軍医学校蔵書始末記」を執筆された鈴木先生を訪問しました。独立行政法人国立病院機構東京医療センターを訪れ、保存されている原本とされる「奉使日録」を拝見すると共に、その著書の顛末を知ることになりました。

東京都目黒区東が丘にある東京医療センターは旧国立第二病院で、終戦で日本帝国海軍が解体されるまでは、海軍軍医学校付属第二病院が同地にはありました。終戦後厚生省の管轄となり、国立第二病院が創設されたとのことです。

海軍軍医学校の図書館に所蔵されていた書籍はそのまま国立第二病院に残されていましたが、トラック2台分の大半の書籍・文献類は横須賀の海上自衛隊関連施設へ、当時鈴木先生が東京医療センターにて副院長として在籍されていた時に移されました。しかし、「奉使日録」にはご本人が興味を持たれ、幸いにも現在東京医療センターの病院長室の書棚に鎮座保管されています。海軍軍医学校にて復刻された「奉使日録」は、国会図書館他に残されていますが、原本の所在は不明であり、今回拝見させて頂くものは原本である可能性が高いと大いに期待していました。

「奉使日録」の1860年1月21日『士官部屋に行、医者「ウエムソン」ナル者面会、互ニ姓名ヲ通シ、同船ノコト故宜頼ムト申入ケレハ、私も御同職の儀ニ候得ハ、―― 右医者姓名書を贈ル、Dr. Charles H. Williamson』の箇所の「Dr. Charles H. Williamson」の部分は明らかにポーハタン号に乗り組んでいる米国海軍軍医の自筆サインで、別の紙に署名されたものが、貼り付けられている痕跡が確認できました。復刻版であれば、こうした痕跡は確認困難のはずです。

更に、四十三丁の「海軍軍医学校図書印」は赤色で、国会図書館にある復刻版の印は黒色で明らかに異なります。鈴木紘一先生によれば、友澤氏に「奉使日録」(古文書)の解読・解書を依頼され、既に同作業は完了しており、「奉使日録」に記載されている月日順に村垣淡路守の日記文を並列して追記編集して自費出版されるとのことでした。出版の暁には遣米使節子孫の会にも配布して頂けることになりました。

「奉使日録」原本の表紙
「奉使日録」原本の表紙
「奉使日録」原本
「奉使日録」原本
国人の軍医である「Dr.Charles H. Williamson.」の署名の背後に薄く線が見える
国人の軍医である「Dr.Charles H. Williamson.」の署名の背後に薄く線が見える
海軍軍医学校図書印
海軍軍医学校図書印
東京医療センターの院長室にある書棚
東京医療センターの院長室にある書棚
駐車場奥に建立されている記念碑 「海軍軍医学校第二附属病院跡、第一海軍療品廠跡、東京海仁病院跡」
駐車場奥に建立されている記念碑
「海軍軍医学校第二附属病院跡、第一海軍療品廠跡、東京海仁病院跡」